戦後80年という事もあってか、7年ぶりに火垂るの墓が地上波で放映された。
この一年、キャセイ航空の映画にも火垂るの墓はラインナップされていた。
この7年間放映されてこなかったのは、おそらく内容の凄惨さによるものだろう。色々とコンプラコンプラで煩い世の中だ。
でも、今回80年を迎えて放映された意義は大きかったと思う。
そういう俺も火垂るの墓は何度も観たわけでもなく、今回、再度見て「こんな内容やったか。。。」と、初めて観た感覚だった。それほど長い年月観ていなかったという事だ。
俺の周りでは、奥様も息子ちゃんも観ていない。
戦争反対を強く言っている奥様のお母さんもすべては観ていないらしい。
その中で唯一観ていたのは、意外と奥様の兄ちゃんの長男。
この長男、勉強は苦手なのだが、意外と人間性はしっかりしている。(と俺は思う)
今回、火垂るの墓が始まって、初めて観る弟達が「マジで~やっべ~」と笑いながら観ていたら、その長男が「笑うな!真剣に観ろ」とゲンコツを喰らわせていた。
このような感受性を持っているところは偉いな~と思って感心した。
ただ「怖いから」というだけでこの映画を避けている人よりは、数倍人間性が出来ていると思う。
この火垂るの墓、観る年代によって感じ方は異なるかと思う。
特に、清太と節子が一時身を寄せた叔母さん。
この叔母さんの対応はやはり年代によって大きく印象が異なるかと思う。
若い頃は「ひどいババアだ」と思っていたが、今、この年代になったとき「この状況下で俺は自分の家族以外の人を引き取って同じような対応ができるか?」と考えてしまう。
引き取った以上、飯を与えないなんてことはできないけど、この緊迫した状況下でそもそも引き取る事ができるのか?
簡単に「私ならもちろん出来る」と言えてしまう人は、想像力が欠如していると思う。
清太も、もっとうまくやれたのではないか?働きに出ればよかったのではないか?と思うかもしれないが、そもそも清太は14歳。節子は4歳。
中学2年生の俺にそこまでの判断能力は無かっただろう。親に養ってもらって当たり前の歳だ。
お母さんが7000円の貯金をしていた事に対して「7000円なんて今でいえば大金やん」と言うやつもいるが、いくら大金を持っていたからと言って、それを中学2年生が混乱した世界で使えるか?
4歳の節子と一緒に、よくやった方だと俺は思う。
火事場泥棒。おそらく俺が同じ環境に置かれたら、同じ判断をするだろう。
今でこそ歳は大人になり、火事場泥棒以外の選択肢も考える事ができるし、採用することもできるから、仮に同じ状況下に置かれても火事場泥棒はしないと思うが、14歳で4歳の妹がいて頼れる者が居ない環境では、それしか選択肢がないだろう。
火垂るの墓、、、、改めて観たが、、、この映画すらしっかりと観ることが出来ない奴らが「戦争反対」を軽々と口に出すなと思った。
まぁ、個人の思想は自由だが。
そして忘れてはならないのは、今もどこかの国で清太と節子が居るという事だ。
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