サイクリストの品格は所作に宿り、コミュニティにおける所作の伝播がカルチャーを形成する。
この言葉がツイッターで少し流行りつつある。
↑この記事を読むと、何となく理解は出来る。長いから走り読みやけど。
ロードバイクの乗り方は色々とある。
単独で乗る人もいれば、仲間で乗る人もいる。
普段、単独で乗っている人は、単独で乗っているうちは良いのだが、他のグループと走ると、しっくり来ない事があるかと思う。
良いとか悪いとかいう話ではなく、そういうものである、という事。
グループAで走ってる人が、グループBで走っても、しっくり来ない事はあるかと思う。それも、そういうもんだと思う。
それはどこから来るものなのか?というと、俺は「走る目的」からだと思っている。
練習したい人が、グルメライドのグループと走って、勝手にペースを上げたらグループとしては「なんやねん」となる。逆もしかりである。
ライドにおける自分の所作は色々なライドを経験して醸成されていくものだと思う。
今でこそ周囲に合わせた走りが出来るようになったが、元々、無茶苦茶に自分勝手なライドをしていた俺が言うのだから間違いない。
色々なライドを経験することで「あ~、、、アレは危ないよな〜」とか「アレは無いよな〜」と人を見て、自分のライドを修正する事を繰り返していった結果である。
俺がグループで走りたいのは「グループとして楽しみたいから」であり、自分だけ楽しみたいのであればソロライドにしている。
だから、俺はたまにやる変態ライドは基本的にソロライドにしている。脚が合わなかったら、どちらかが地獄ライドになり、グループとしての楽しさが減少するからである。
グループとして楽しみたい、という視点が無いと、バラバラなライドになり、何となく気持ち悪くストレスが溜まる事になる。
グループ内の誰かがそうなってもよろしくない。特に、グループライドなのに千切れる人を作ってしまうのも良くない。グループ練習であったり、グループライドでも予め「ここは皆全力でアゲましょう」と合意があれば別である。
グループライドなのに単独走になっては、何のためにグループライドに参加したのか分からなくなる。
走る目的に応じた所作を身につける事で、サイクリストとしての品格が作られていく。その品格が「あの人とは走りやすいわ〜」となる。
こういった所作を身につけている人がグループ内にいて、仲間に伝われば、そのコミュニティのカルチャーとなる。そういった事だろう。
知らんけど。


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