パリオリンピックが終わりましたね。
今回も色々と感動をいただきました。
選手にとっては結果が重要かと思いますが、観ている方は経過に感動したりするものです。
実際、我々が目にする経過というのは、ほんの一部でしか無い。
ほんの一部という事すらはばかられるほど、ミジンコ以下の一部の切り取りでしか見ていない。
実際は、我々が想像する、いや、想像を絶するほどの努力をしているだろう。
そんな競技者が4年に一度のオリンピックで流す涙は俺の胸を強く打った。
勝っても負けても、その人が流す涙には意味がある。
オリンピアンはどうすればなれるのか?
オリンピアンというのは数年でなれるものでは無い。
幼少の、、、物心つく前から、厳しい練習を課せられ、物心付いてからもずっと「オリンピック選手になって金メダルを獲るんだ」とずっと想い続けている人間だけがなれる。
いや、生まれる前から、、、、遺伝子のところからさかのぼる必要があるかもしれない。
もちろん、色々な誘惑があったり、色々な障壁がある。それらをすべて乗り越えてきた人間だけがなれる。
俺も、オリンピアンを目指したことがある。
一日24時間、いや、一日48時間という不可能な時間、ずっと日本一を目指した。
全てを犠牲にして、一途にそれだけを目指す。
分かるか?
「アレが出来たら、日本一になれる」
というのが日常茶飯事に発生する。
例えば、小学生の時、少し先の交差点の信号が青だったとしよう。
「あの信号を青のまま渡り切れば日本一になれる」と信じて、全力ダッシュする。
もちろん、両手両足にはおもりが付いている。
おもりがついたベストをずっと着ていた事もある。大リーガー養成ギブスみたいなものである。
少し間違えたら児童虐待だが、自ら志願して作ってもらっている。
これは一例だが、全てがこんな感じになる。
有名な外国の選手を見ると、弁護士であったり医者が多かったりする。だから基本的には文武両道。
「次の期末テストで学年10番以内であれば日本一」という事もやったりして、塾ガチ勢と戦っていた。
中学校の時の一日は
朝練
学校
学校後、高校で練習
町のクラブチームで練習
夜;筋トレ
もちろん、全身におもりを付けているし、休み時間は筋トレを欠かさない。
ここまでやって、中学2年の頃にレスリングで全国大会優勝を目指していたのだが、その大会の優勝者と当たって敗退。
競技をやっていて初めて泣いた。
負けて泣く時というのは、泣きたくて泣くのではなく、もう、自然に涙があふれてくる感じ。どうしようもない。
中学生でもこんな感じなのだ。
大人なオリンピアン達、当然、才能もあったのだろうが、それ以上に努力の量・時間・熱量は半端なかったと思う。
色々な誘惑を振り切って努力し続けることが出来る才能。
そこまでやった結果の答え合わせがオリンピック。
勝っても負けても涙が出るでしょう。
負けて流す涙を批判する奴等がいる。
会場で大声で泣く姿を批判する奴らがいるが、、、、人生で本気で何かに取り組んだことが無い奴等なんだろうな、と思う。
「私は分かる」という人もいるかもしれない、が、、、違う、そのもっと斜め上をいくものなんだ。
俺も想像がつかないし、分からない。
それほどのものを抱えて出場したオリンピアンに拍手を送りたい。
感動をありがとう。
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