3月11日に発生した東日本大震災。
あの日は京都の本社でオーストラリアの代理店と電話をしていた。
かなり大きな揺れを感じて、電話で「今、地震があったよ。震源はかなり近いんではないかな?」と話していたのやけど、まさか震源が東北とは思わなかった。
しばらくして、周囲がざわつき出して、仙台空港が津波で沈没いたというニュースが入る。
これはとんでもない事になってきたと感じた瞬間やった。次々に被害情報が入ってくる。その日は早く帰ったのだけど、家に帰ってテレビをつけると、全てが震災関連。
火災と津波の衝撃的な映像ばかりが流れる。その瞬間にも人の命が亡くなっていく。家族と会えない人達が不安な一晩を過ごした夜やった。自分がその立場に置かれたら、、と思うと胸が張り裂けそうな感覚を覚えた。
テレビは翌日も震災関連一色。原発関連のニュースも聞かれる始め、不安が増大。15日には原発が爆発。最悪の極みやと思った。
雨が降れば、その雨に放射性物質が入っているから被曝するという情報も入ってきた。放射線量に関する情報も入ってきて、関東では許容量をはるかに超える線量が検知されるなど、もう日本終わったのではないかと思う程の事態やった。
会社では、部品が無いから機械が作れないという状況が続き、工場も何日間か停止した。
この時は調達部門では無かったから、経験はしていないが、かなり大変やったらしい。
日本はまた原発が再稼働を始めている。あれだけの事態を経験し、未だに解決していないのに再稼働。
電気が無ければ確かに困るのだが、それは原発事故が発生して経験する困った事態に匹敵するものなのだろうか。
再稼働が良いか悪いか色々な意見があり、どれもそれぞれの言い分があるので、簡単には言えないが、俺らはどこに住んでいて何のために生きているのかを、天体レベル/哲学レベルで見つめなおさなければならないのでは無いだろうか。
8年。東日本大震災は当事者では無いが、南海トラフ地震では当事者になる可能性もある。地震が起きた時にどう対処すべきか、せめて3月11日だけでも考えたい。
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