このブログは日記も兼ねているので、とりあえず書いておく。
昨年末に親父が転倒して大腿骨の付け根を骨折して緊急入院したという報告が入る。
ゴミ捨てに出た時、滑って転んだらしい。
12/31、静岡まで様子を見に行く。
まだ意識はしっかりしていたが、痛いと言っていた。年始休暇に入っていたので、手術は数日先延ばし。
手術の為、内科系の検査をしたところ腎臓と肝臓が壊滅的に悪い事が発覚。過去に、肝硬変やってる。
そう、酒の飲み過ぎなのだ。
1/6、医者と面談をする為に再度静岡へ。
1/14、手術。
術中に亡くなる可能性があり、家族の立ち合いが必須という事で、再び静岡。
だいぶ意識が混濁し始めた感じ。
人間、寝たきりになると一気に弱る。元々、暴力的な人間なので、ベッドで暴れた為、拘束具を付けられていた。もちろん、俺ら家族の同意の元だ。
拘束具を付けられても弱るとNHKの番組でやっていたので「こういう事か」と府に落ちた。
ただ、病院に対して暴れる親父に「拘束具付けるな」とは言えない。暴言を吐く親父に対しても看護師はヒラリヒラリとかわして対応してくれていた。
看護師の現場は大変だ。初めて他人の仕事に尊敬を感じた。
お見舞いに来ていた叔父と叔母は、暴力的な親父を見て驚いていたが、まぁこんなもんでは無かったなぁ、と昔を思い出し、吐き気がした。
手術は成功。
ここからはリハビリ。
病院に居られる日数が決まっていて、その間、同じ病院でリハビリをする事に。
同日にリハビリ終了後の転院先の手続きをする。
今の病院を退院しても、自分で生活できる様にならなければ、家には戻れない。最低でも歩ける様にならなければならない。
俺は滋賀でマンション暮らしやし、引き取って同居は選択肢に無い。
いずれにしても施設に入れるしか無かった。
2月。手術が終わり転院先の手続きも終わり、入院期間のマックスを超えたが病院からは特に連絡なし。
転院先のベットが開かないらしい。
一度、奥様家族と面会に行く。
大分、弱っていた。
これで歩いたら奇跡だと感じるほど、脚からは肉が無くなっていた。
話す言葉も聞き取れない感じになっていた。
3月。
内蔵系の方が悪い状態になってきたので、内科に移すと連絡あり。
下血ありと連絡を受け、いよいよか、と思ったがしばらく連絡なし。
3月28日。
内科系の転院先と面談の為、再び静岡へ。
親父と面会。
これが今生の別れと分かるほどの状態。
特に何を伝える気も起こらず、世界はコロナで大変だということを伝えて別れる。
これが最後。
4月1日の夜に心肺停止の連絡を受ける。
4月2日。
部門の報告会があり、プレゼンを作ったものの、俺が参加しなくては発表する人がいない、困ったな〜と思いながら、パワポに音声入れて自動再生でプレゼン出来る様にしておいた。
徹夜で完成させて、すぐ、静岡に向けて出発。途中仮眠をとりながら、待合せの10時に到着。
叔父と叔母と妹家族。
親父の遺体と面会。数日前に会った時と変わらない感じやった。
葬儀屋に連絡して葬儀プランを選択し、手続き完了。この様な時期なので、お通夜も葬式もせず。
火葬場へ直行で運んでもらい、翌日に火葬。
コロナの影響で、このような感じの葬式にする人達が多いらしい。
後はトントン拍子に進んで終了。
送り人の対応も凄かった。
叔母がわけわからん事で突っかかった時も、一切の感情を殺しての受け答え。なかなか出来るものではない。
火葬が終わり、家の整理。
廃棄業者に来てもらい、廃棄見積もり。
色々な契約の解除。
交友関係のあった人達への連絡。
妹家族と連携して対応。
一番、厄介なのは神仏関係。
俺は無宗教だが、親父と親族は神道やったから、神棚関連を押し付けられた。
正直、宗教は好きではない。押し付けるものでも無いし、宗教観の押し付けが、戦争の根底にあると俺は思っている。
でも、こんなところで正論を吐いても仕方がないので、大人しく持ち帰っておいた。時期が来たら、、、という感じだ。
、、、という事で、親父は亡くなった。
酒に溺れて公私共に色々とあり、最終的には酒に殺された人生。好き勝手やって、本人だけは幸せやったんではないか?
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